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和太利 二 (1)


ほう茸を、と別当はやはり感心そうに声を上げた。
土御門大路の安倍邸を出て四日、清彦と別当は金峯山の麓まで来ていた。
さすがは修験道の御坊、年を取ったといっても若い清彦の歩にも十分についてきていた。むしろまだ余裕があるように見えなくもない。

京から金峯山までの道中は、歩を進めながら徒然なるままに清彦が万里のもとを尋ねた子細を話していた。
初めから語ろうとするとどこから話したものかと定めることが出来ず結局は清彦が安倍の邸へ出向いたところを掻い摘んで話したのだが、
いつのまにやら話は清彦が持っていった茸の話に及んでいた。

「それはよい贈り物をなさった。季節に合うた美味なる品じゃ。利成殿の奥方も気の利く御方でございますなぁ」

「吾妻が持たせたものながら、なかなか美味しゅうございました。今更ながらに、別当にも召し上がって頂きたかったものです」

「ならば、この件が落ち着いてから御一献いかがかな」

「ええ喜んで」

別当は相も変わらず人の良さそうな笑みを浮かべており、清彦もいつの間にやら打ち解けていた。
安倍邸で顔を合わせた時はさすがに相手が金峯山寺の別当ということもあって少しばかり身体もこわばっていたが、
この道中で別当は見かけ通り人当たりの好い人物であると清彦は気付いていた。
清彦自身もまた万里から「お人好し」などと評されるほどの者であるため、別当に早いうちから気を許していた。
ただそれでも、別当の纏う上に立つ者特有の狡猾さを感じずにはいられなかったが。

「見えましたぞ」

そう言われて見上げた先には、黒々とした山門の屋根瓦が光っている。
全体の姿は木々の陰に隠れて見えぬが、かろうじて見える屋根の大きさから考えるとなかなかに立派な門である。
大内裏の朱雀門のような煌びやかさはないが、それと同じほど、もしくはそれ以上の威厳と近寄りがたさを感じる。

「さて利成殿。我らはもうほんの少し上れば御山に入ることになうのだが、その前に一つ伺ってもよろしいかな」

「何でしょう」

「利成殿の真の御名は何と仰る?」

清彦は虚をつかれたように黙ってしまった。
いや、正しくは驚きで言の葉を紡ぐことができなかった。

「いつから―――」

「そうさなぁ、敢えて言うなれば初めから、でございます。
万里様が貴方様の御名を仰った時、貴方様は何か言いたげに万里様を睨んでおいででありましたからなぁ。
その後も『利成』と呼ばれることに慣れておられぬ感じがありましたし、
特に万里様からそう呼ばれる度に怪訝なお顔をなさっておられたので恐らくはと」

つまり、名が偽りであることを見切られてしまう、と清彦が案じていた時にはすでに気付かれていたということである。

「教えてはいただけぬか」

次の句が接げない清彦を尻目に、別当は再び尋ねた。
勝手に名を偽られたのは腑に落ちなかったが、そうしたからには何か理由があるのだろうと清彦は考えていた。
確かに万里には清彦をからかって楽しんでいる節が大いにあるが、
此度のような無意味な偽りを己が楽しみのために行うほどかの友人は莫迦でも暇でもないということを清彦は知っている。
ならばこれも、万里の考えのうちなのかも知れない。

「ご案じ召されるな。貴方様に害が被るようなことには致しませぬ故」

清彦の心を読んだかのように、別当はそう付け加えた。
万里がどのようなつもりで清彦に偽名をつけたのかは分からぬが
もし別当に真名を教えることで彼自身の身に災いがあるようならば万里の頼みを蹴って京へ帰ることもできる。
そうなれば再び万里の浴びせられるであろう小言は避けられぬし、またしても彼女に借りを作ることになるが
それでも子細のよく分からぬ頼まれごとを請け負ってその上に災いまで被るなど、いくら人の好い清彦でも腑に落ちぬ。

「私は清彦と申します。今まで名を偽ってきた非礼、お許しください」

「ほう、清彦殿と申されまするか。随分と古くゆかしき御名をお持ちで。まるで神世の大王のような御名でございますなぁ」

「はぁ…」
清彦は曖昧に頷いた。返事に困る物言いである。

「―――それにしても、清彦殿は万里様に大事にされておりますなぁ」

「は?」

それはない、と清彦は心中で断言した。

「万里様に名を隠されたではありませぬか」

「はい」

「あれは恐らく、この御山の者たちから清彦殿の御身を守るための手にございましょう。
修験者の中には法師や道士のように妖しき術を使う者どももおります。
万里様とそこまでご縁のある御方ならもうご存知とは思いますが、真名に呪を掛けてしまうことほど容易き術はございませぬ。
それは小さな童ですら用いることができる、それでいて何ものよりも強い呪でございますれば、ましてその道を知りたる者にとって尚更。
それ故に万里様は拙僧にすらも貴方様の御名をお教えにはならなんだのでしょう」

万里様に信じて頂けないようで悲しゅうはございますがなぁ、と別当は苦笑いを浮かべたが、あまり悲しそうでもない。

「私は、その、呪やら何やらのことはよう分かりませぬが……あの安倍の家人は私のことをどう思うておるのか分かったものではありませぬ」

「おやおや、何故そのように仰せられる」

「彼奴(あやつ)の私に対する扱いは酷すぎます。
―――確かに、あれに助けられたことも多々ありますが、その度に私自身も剣呑な目に遭わされておりますし」

もし仮に自分のことを友だというなら、
せめて急に金峯山くんだりまで半月も旅に出ろなどという無理難題を押しつけるのはやめてほしいものだ、と清彦は言いたかったが
別当の前で口に出すのは憚られた。
さすがにその御岳の長である別当に対してそこまで気の利いた皮肉を言う度胸を清彦は持ち合わせていない。

清彦のそんな思いなど露も感じていない様子で、別当は「ほうほう、あの方らしいことじゃ」と一層感心した体である。

「―――一つ教えてさしあげようか、清彦殿」

「何でございましょう」

「誰かに対して『友』として扱うこともまた、名付くことと同じなのでございますよ、清彦殿」

にやり。

老僧は不敵に笑った。今まで見た老僧の笑顔の中で一番に意味深な笑みである。
なぜ安倍の周りにはこのように笑う方が集まるのか、と考えた清彦は少々嫌な気分になった。

そんな清彦の様子に気付いているのか居ないのか別当は変わらぬ笑みで、では参りましょうか利成殿、と言って歩を進めた。




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