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和太利 一 (4)


中門まで出てみると、そこには一人の老僧が立っていた。
齢八十ほどであろうか、かなりの高齢である。腰は曲がり目は深い皺に埋もれ、背も低い。
ただ身につけている物はこざっぱりと整っていて、分かる者にしか分からぬような不思議な威厳を纏っている。
一目見ただけでは好々爺の老僧としか見えぬが、じっと眺めてみると何やら徒者ではないように感じる。

「これはこれは、遠方より遙々御出くださり、真に有り難きことにございます」

「なに、よい散歩になり申した」

「金峯山からはお一人で?」

「うむ。人を連れてこれば、それだけその者たちの行を妨げることにもなります故…。
それに我が金峯山に来て頂く御方は、やはり儂が一番先に見申し上げたくてなぁ」

「左様で」

からから、と清彦を差し置いて二人は楽しげに談笑している。
清彦は清彦で、二人の会話からこの老僧について思い至り、僅かならず緊張していた。

別当。すなわち金峯山寺別当。
つまり、この好々爺然とした僧こそが金峯山の長なのである。

「御坊におかれましては、久しくお目にかかりませんでしたがお元気そうで何よりでございます」

「万里様こそ。見ぬ間に随分とご立派になられた」

「様は止(よ)してください。賤しき身の者にございますれば」

「何を謙遜なさる。そう呼ばれるだけのものを持っておられる御方が」

さも楽しげに別当は笑った。からかっているようにも思えるが、当たり前のことを聞かれて笑っているようにも見える。

―――何者なんだ、安倍。

清彦は己が友人に対して、しばらくぶりにそう思った。

「して、こちらが」

「ええ、例の男です。名を利成といいます」

平然と清彦の名を偽った万里に、おい、と清彦は目で抗議したが、あっさりと無視されてしまった。
勝手に偽名を名乗られるのは、
――以前に似たようなことが何度もあったのでまぁ慣れてしまったといえば慣れてしまっているのだが――やはりいい気がしない。
まがりなりにも己の名である、愛着もあろうというものだがこの友人にかかれば直ぐさま全く縁のない名に変えられてしまう。
弄ばれているのではないかと疑うほどである。

「利成殿、か」

「……………はい」

幾分か不承不承であったが、清彦はそう答えた。恐らくここで否と答えても万里が舌先三寸で丸め込むのだろう。
そんな清彦を見て、かの老僧は感心そうにゆるりと頷いた。

「随分とお若い方で。このような御方を拙僧がお連れしてよろしいのですか、万里様」

「ええ、ご心配は無用にございます。その男、若くは見えますが私よりも年は上であります故、どうぞご随意に」

「それはそれは―――お若くいらっしゃいますなぁ」

一回目とは違った意味合いを含んだ調子で別当はそう言った。
つまり清彦は幼顔なのである。今年で二十六になったというのに二十に満たぬ青年と思われることが常だった。
乳兄弟である致時と並んでも全く同い年には見えず、清彦としては少なからず気にしていることであった。
別当は自分のことを幾つだと思ったのか、清彦には聞く気概がない。
そんなことを思っている清彦を眺めながら、別当は相変わらず人の好さそうな笑みを浮かべている。

「では早速だが参ろうかな、利成殿。さすがに長らくは山を空けておられぬ故」

「今、ですか」

万里の言っていた「今日から」とは、言葉に違わず今日からだったわけである。
正しくは「今から」なのだが、それを言った本人に訴えたところでどうなることでもないことを清彦は知っていた。

「しかし支度が…」

「それならこちらで済ませてあります。御坊の荷と共に積ませて頂きましたが、よろしゅうございましたか?」

と万里。清彦にしてみれば全くよろしくないのだが、別当はこちらも感心そうに頷いて、構わぬ構わぬと楽しげである。
見方によってはこの二人、組んで清彦を金峯山に連れて行こうとしているようにも見える。
どちらも本意が見えぬ分、何を考えているのか掴めない。

「これで用意はよろしいかな、利成殿。他に何か要りようであれば取りにも買いにも参りますぞ」

相変わらず別当は朗らかに相好を崩さずにいるが、むしろそれが否と答えることを禁じているのだと、清彦は感じ始めていた。
やはり万里と縁のある者なだけあって一筋縄ではいかない。

清彦はもう諦めた。

「では一つだけ。―――安倍、」

太刀を貸しては貰えぬか、と清彦は問うた。未知なる場に赴くならば、身を守るための何かはあった方がよい。
致時の従者として、時に主を守る役目を担っている清彦は少しばかり腕に覚えがあった。
それは万里も認めていることで、立ち回りにおいては彼に頼ることすらある。

修験道といえば、山での修行も必要とする道である。
そこで己を極めてようとしている修験者たちもそうした試練を乗り越え、繰り返してきた猛者が多い。
身を守る術もなく一悶着に巻き込まれてしまったのではたまったものではない。
それ故、清彦は太刀を所望した。人を傷つけるつもりは毛頭ないが、それを持つことで何らかの牽制にはなるかもしれない。

「ええ、いいですよ。両刃ですか、片刃ですか」

「両刃、かな」

「分かりました」

東間、と万里が呼ぶと、まるで端から用意していたかのように一人の男が剣を携えてやってきた。
「東間」と呼ばれて来たことから察するに、先ほど別当の来訪を告げに来た者のようである。
年の頃で言えば三十ほどであろうか、清彦よりは年上である。
柔和な顔立ちではあるが、万里の妖しさとはとはまた違った、得体の知れない黒い雰囲気を感じる。
万里は清彦よりも先にその剣へと手を伸ばした。

「そうですね、これがいいでしょう。どうです?」

と言って剣を確かめてから清彦に渡す。鞘に入った剣は鉄の重さを纏っており、柄を握ればしっくりと手になじむ。いい重さだ。
さすがに僧である別当や一応は女人である万里の前で剣を抜くことは憚られたので刃を見ることをせず
「これでいい」と清彦は頷いて左腰に差した。

「これでよろしいかな利成殿」

「―――あ、はい」

清彦は己が「利成」であることを忘れ、つい返事が遅れてしまう。
何のために万里が偽名を騙ったのかは分からぬが、この様子では遅かれ早かれ「利成」という名が偽りであることがばれてしまうだろう。

「では御坊、この男のことはくれぐれもお頼み申し上げます」

「とんでもない、儂は利成殿に世話になる身じゃ。こちらこそお頼み申し上げますぞ、利成殿」

ふくふくとした満面の笑みでそう言われてしまっては、清彦もいよいよ否と言えなくなってしまった。万里の不敵で底の知れない笑みよりも、この老僧が浮かべる邪気のない笑みの方が厄介やも知れぬ。
さて参ろうか、と朗らかにそう言った別当は、柔らかい調子で且つ有無を言わせず清彦を安倍邸の外へ誘った。
清彦も万里に背を向けて歩を踏み出そうとした時、




「利成殿」

万里はふと思いついたように声を掛けた。

「何だよ」

「致時様には我が主の手が空いた由、きちんとお知らせしますからご心配なく」

「あぁ分かった」

それをわざわざ言うためだけに呼び止めたのか嫌味な奴だ、と清彦は不審に思いつつも軽く言葉を返した。
あの妙な友人の気まぐれなど解する方が難しいのだ、と思いながら、清彦は安倍邸を後にした。






清彦が、致時から受けた命のことを万里の前で一言も口に出していないということに気付いたのは、旅路の半ばを過ぎた頃のことである。





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