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魔女に後れを取りながらやっと朝食を食べ終えると
魔女が置いていった食器と自分のものとを下げてキッチンで洗った。
食器くらい水に浸けておいてくれればいいのにとも思うけど、やっぱり口答えするのは恐い。
一体全体、どういう教育を受けて育ってきたのやら…こういう時はどういうんだっけ。
親の顔が見てみたい、だったかな。―――いや、見たくないなぁ。

そんなことを思いながら食器を洗って乾いたタオルで拭いて、いつも通りならこの後は部屋の掃除。
だけど今日は別メニュー。12日だからトニーさんのパン屋さんで朝一セールがある。

トニーさんのパン屋さんことトニーズ・ベーカリーは知る人ぞ知る名店だ。
ぱっと見、街の昔懐かしいパン屋さんにしか見えないけれど
その味は全く錆びてなくて、いつまでたっても飽きがこない。
僕も魔女もトニーさんのパンはお気に入りで、パンのことに関してはいつも御世話になっている。
もうちょっとでも経営努力をすれば2号店なんてあっという間に作れそうなんだけど
トニーさんは「そんな大事にしちまうと末が恐くて堪らねぇ」と言って苦笑いをしていた。

そんな気さくなトニーさんと、さらに輪を掛けて気さくな女将さんの二人でやっているパン屋さんは
この街の中では有名で、そしていろんな年代層に人気がある。
魔女も僕も、主食に関してはいつもトニーズ・ベーカリーで御世話になっているから12日のセールは有り難い。

ちょうど今の朝食でパンも切れたことだし行ってこないとな。
早く行かないと売り切れになっているかも知れないし。


「お姉さーん。トニーさんのこと行ってきますからねー」


空のバスケットを掴んで1階におりると、調剤室に向かって僕はそう叫んだ。返事はない。
正直言うと返事くらいはしてもらいたいのだけど、まぁこれはいつものことだから軽くスルー。
からんからん、とドアについた呼び鈴を鳴らしながら外へ出た。



当然と言えば当然だけど、街は洗濯物を干していた時よりも人で賑わっていた。
教会へ勉強しに行く小さい子供たちや
お出かけでもするのか着飾った貴婦人が馬車に乗って往来を素通りしていく。
陽は昇ったって言ってもまだ朝の早い時間だからそんなに人で溢れている訳ではないけれど
それでも朝の閑静な風景は薄れかけていた。
どちらがいい、という訳でもなく僕はどっちの雰囲気も好きだ。

「………と、そんなこと考えてる暇ないんだよね」

そうそう急がないと。ぼーっとしてるとブレッドが売り切れる。
とにかく、12日はライバルが多い。
姑息な…いやいや、賢い奥様方は教会に行く子供たちに朝一番で買ってくるように頼んだり
中には旦那さんの朝ご飯も作らずに買いに来る猛者もいるらしい。
僕は魔女がいる手前そんなことが出来ないっていうのに、全くフェアじゃないじゃん。


目の前の通りを右に下って、次の交差点をそのまま渡って6軒目。そこがトニーズ・ベーカリー。
魔女がやってる薬屋さんと同じピアース通り商店街にあって
そして魔女がやってる薬屋さんとは違い、いつも活気に満ちている。
まぁ、活気に満ちた薬屋さんってのも想像できないものだけど。

煉瓦で舗装された通りを歩きながらあくびを一つ。今日は本当に良い天気だ。
今から教会に行くんだろうけど確実に遅刻ペースな男の子がトーストをくわえて走って行ったり
軒先を掃除する商店街のおばさんたちが井戸端会議を始めていたり
野菜を沢山積んだ馬車が通っていったり。
その一つ一つを取ってみても決して動作が遅いわけじゃないのに
どこかゆっくりとした時間が流れていた。
やっぱり平和なのは良いことだ。

トニーズ・ベーカリーの前まで来ると、もうピークは去ったようでお客さんは少なかった。
最後の一人らしいお客さんも、僕が中にはいるのと入れ違いに出て行った。
ん、まさか売り切れなんじゃあ………。

「おうグレイブ。そろそろ来る頃だと思ったぜ」

がっはっは、と海賊みたいな豪快な笑い声を挙げてトニーさんはカウンター越しに出迎えてくれた。
ヒゲ面の厳つい顔はしているから頑固で気むずかしいそうな印象はあるけれど
トニーさんは見た目によらずあっけらかんとした人だ。
人が好いというかなんというか、親分肌というか兄貴肌というか、そんな感じ。

「あ、お早うございます。あの…、ブレッドまだありますか?なければバゲット一つ」
「おう、あるよ。ブレッドはちょうど最後の一個だな」

また昼までに焼かなきゃならねぇか、と言いながらトニーさんはバスケットにブレッドを詰めてくれた。
朝に焼いたばかりのようで、バスケットからは香ばしい良い匂いが漂ってくる。
朝食を食べたばかりでも、ついつい摘んでみたくなる。

「おやおやグレイブが来たのかい?毎度ご贔屓にありがとうね」

焼きたてのクロワッサンを持ってやってきたのは女将さんだ。
恰幅の良いおばさんで、こちらもトニーさんに負けず劣らず気さくで親しみやすい。
トニーさんを親分肌というのなら女将さんは姉御肌だ。お袋さんって呼ぶのが似合いそう。

「しかしお前さんはいつもブレッドなんだねぇ。
何もこの店にはブレッドしかないって訳じゃないんだから。
ほら、クロワッサンもスコーンもマフィンもまだ余ってるよ」

「いや、僕もそう思うんですけど、食べてみたいんですけど…。
半年ほど前でしたっけ、僕が来た時ブレッドもバゲットもなかったじゃないですか。
それでクロワッサン買って食事に出したら
『食事とおやつの区別も付かないのかいこのおばか!』って怒られちゃって。
あの時はさすがにちょっと恐い思いをしたんで、それからはブレッド出すようにしてるんです」

「飯時にクロワッサンって普通だと思うんだがなぁ。あの婆さんには困ったもんだ」

「本当に、あの偏屈は自分の薬じゃ治らないのかねぇ」

二人が僕の味方に回ってくれるのは嬉しかったけど、僕は引きつった笑顔の裏で冷や汗たらたらだった。
こんなの聞かれてたら生きていられない。
先月のクロワッサン事件(?)の時だって
魔女が投げてきたナイフに半日も追いかけ回される羽目になったんだから
もう本当に生活に命を賭けてるって言っても過言じゃなくなってきている。

「何もあんたみたいな良い子がイディスの魔女に就いてることなんかないのに」

そう言って女将さんは溜息をついた。




イディスの魔女。
街の人たちは魔女を忌避してそう呼んだ。




イディスというのは、ちょっと変わったある民族集団のこと。
見た目は他の人と全く代わりはないけれど、その世界観が普通とは違う。

一般的に信じられている教えでは、この世界は有る一人の神様が創造したことになっているけど
イディスの民はイデアというものから世界が成り立っているって考える。
世の中の万物にはイデアという善の塊みたいなものがあって
それが示現して出来ているのがこの世界、らしい。
でもイデアから示現したものは完璧なものじゃないから
そこから歪みができて悪が生まれてくるっていう世界観。
その世界観の中では、人は万物の中で唯一その事に気がついた生き物で
イデアを求めることを許された存在ってことになっている。

そんな世界観の賜物なのか、イディスの民はいろんな知識を持っている。
数学や物理学、化学にしても
独特な世界観を発揮して一応理論付けて研究されているし、それなりの成果もあがってる。
商業の才覚もあるし文化的にもハイレベルだし、医学も発達している。
でも大勢が信じている教えと反する考え方をしている為に、それらの長所は黙殺されているみたいだ。
極端な話、ほんの3・4年前までは隣の国でイディスの民を排斥する運動も起こっていたとか。

今では別に「イディスの民だから税を高く取るー」とか
「イディスの民だから町内会には入れてやらないー」だとかいうことはないけれど
やっぱりほとんどの土地で彼らは一線を置いた距離から扱われている。
どう言えばいいかな、差別はされてないけど区別はされてる、っていうか。



それで、何を隠そう例の魔女はイディスの民。
薬屋さんの名前『イディッシュ・ファーマシー』も、由来はそこからきている。
イディッシュなんて看板掲げたらお客さんも顔を顰めるだろうに。
さすがは魔女、大胆不敵。

作っている薬も、イディスの民としての知識を利用している部分もあるみたいだ。
魔女が読んでいる薬の本も、覗いてみればイディスの古い言葉で書かれていたり
カルテとかメモとか見てみると意味の分からない言葉が並んでいる。

ちなみに、イディスの民は他の人間と同じ言葉を遣っているけれど
モノの固有名詞はたまに違っていたりもする。
イディスの民にとっては名前とか言葉とかは大事なものらしくて
そこは譲れないところらしい。
まぁ軽い方言だと思えば何も問題はないけれど。



とにかく、イディスの民で魔女でアヤシイ薬屋さんなあの老婆は
街の人から遠巻きにされてしまう条件をそろえている訳で
その副産物として、僕は「イディスの魔女に扱き使われてる子」という見方をされている。
初めのうちは僕も遠巻きにされていたけれど
しばらくすると何故だかみんなに優しくしてもらえるようになった。
…何か同情されてるのかな、と思わなくもないけれど。


「グレイブ、グレイブ」

トニーさんからバスケットを受け取って
ブレッドの半額料金(これがセール価格)を渡した時に女将さんに手招きされた。
がさがさ、と紙袋特有の音がする。

「これ持っていきな」

そう言って女将さんがくれたのは、焼きたてのチョコクロワッサン。
さくさくと美味しそうな生地からは、嫌味のない甘いチョコレートの匂いが漂ってくる。
子供たちにも大人気の、トニーズ・ベーカリーの人気商品だ。

「え、でもお金……」

「いいからいいから。いつもグレイブは頑張ってるんだからご褒美だよ。
 嫌なことや辛いことがあったら、いつでも駆け込んでおいで」

「そうだぞグレイブ。お前ならいつでも大歓迎だ」

「あ、ありがとうございます」

慣れてないからか、人から優しくしてもらうとちょっと照れくさい…。
この街の人たちはみんな優しいけれど僕の同居人がアレだから
人からの好意には何だか申し訳ない気分になってくる。
それがまた「謙虚な子だ」とか思われる原因にもなっているらしい。
いやまぁ、傲岸不遜ではないけどさ、僕としてはそこまで謙虚でもないつもりでいる。



もう一度、トニーさんと女将さんにお礼を言って店を出た。

それにしても、今朝は思わぬ収穫があった。
まさかチョコクロワッサンをタダでもらえるとは。これは一人で食べないと。
お茶の時間に出したりしたら、間違いなく魔女に食べられてしまうし
この存在を知ったら食べる主導権が確実に奪われる。
魔女にばれないように持ち帰る…何てレベルの高いクエストだ。
下手したらもう知ってるかもしれないのに。

そんなことを考えながらトボトボ歩いていると、いつの間にか薬屋さんの前まで来ていた。
何かしていたり考えてたいりすると時間の流れは早いそうだけど
何故よりにもよってこんな時ばかり早くなるのだろう。
道のりが永遠のものだったならその間にチョコクロワッサンも食べれらたっていうのに
時間の流れとは斯くも無情なものだったのか。
もはや執行猶予ゼロ。ここまできたら早く入らないとかえって怒られる。

「只今戻りましたー」

諦め半分な気持ちで僕はドアを押し開けた。
からんからん、と呼び鈴が鳴る。返事はない。

「……あれ?」

魔女は、僕が出掛ける時は何も言わないけれど
帰ってくる時は何か言う習性がある。嫌味付きで。
その声がないということは…もしかして何か起こったとか。

「お姉さーん?」

聞こえなかっただけかも知れない、と思ってもう一度呼んでみるけれど結果は同じ。
前にも言ったけど、老婆とは言ってもあの魔女はそこんじょそこらの可愛いお婆さんとは違って
耳も近いし呆けてもいない健康体だ。
二回にわたる僕の大声も呼び鈴も聞こえていないなんて、そんなことはまずない。
―――ってことは、やっぱり何かあったとか…?

さすがに僕は少しずつ心配になってきた。
確かに大胆不敵で人畜有害なとんでもない魔女だけど、老婆は老婆に変わりない。
憎らしいまでに健康体だといってもそれはお年寄り基準だからであって
若い人に比べれば骨なんてか細いものだし、力だけなら僕にも負けてるほどだ。
僕は人並みには敬老の念ってものを持ってるつもりだし
それに同居人を心配できないほど薄情でもないつもりだ。

もうクロワッサンのことは魔女が見つかった時に考えよう、と僕は思い始めていた。
さっきまで自分で食べたい一心だったって事を忘れるのは我ながら現金だと思うけど
人の消息とクロワッサンなんて比べる方が馬鹿だと思うし。

「本当に、どこ行ったんだろ………ん?」

そうして調剤室の前でウロウロしていると
白い紙が魔法の絨毯のように身をくねらせて、ひらひらと目の前にやってきて止まった。
闇色のような墨に達筆なペン使い。魔女の字だ。


ぐっちゃんへ

   薬草を採りにユニーロ山まで行ってくる。
 夕方までには戻ってくるから、すぐにお茶が飲めるようにして待っていること。
 あと、客が来ても薬には触れさせるんじゃないよ。

 ステファニー・エルメシュタイン



「……要するに、お出かけ中ってことか」

何だか心配して損した。
こういうところに魔法を使っちゃうあたりが魔女らしくはあるけれど
それならそうで普通に置き手紙でも良かったのに。
手紙は僕が手を離すと、やってきた時のようにひらひらとどこかへ飛んでいってしまった。

何なんだろう、あれ。



肩すかしを食らった気分で2階に上がり、ブレッドの入ったバスケットを戸棚に仕舞うと
僕はまた1階に下りてカウンターに座った。
店の鍵は魔女が持っているから
店が開いている間は僕がここで店番をしていなければいけない。
閉め出されなかっただけ愛されてると思わなければいけないけれど
お客さんに帰ってもらわなきゃいけない僕のみにもなって欲しい。



つまり、ステファニー・エルメシュタインという魔女は
居たら居たで恐くておっかないけど、いなかったからいなかったで困る存在なのだ。



僕は紙袋の中から焼きたてのチョコクロワッサンを取り出して
薬臭いお店の中で、もそもそと食べ始めた。





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